8月23日(手術の説明) [帰省]
13:00前に母の元へ到着。
13:30麻酔科へ行ってチーフである女医さんから説明受る。
当日は、麻酔科医(女性)2名の他、このチーフの女性も同じフロアにいるそうだ。
麻酔から覚めるのは、翌日以降。
体の状態を見ながら麻酔から覚ますので、いつかは言わない。
同じ箇所の2度目の手術になるので、
出血しやすく、その分時間もかかるかもしれないとの事。
次にICUへ行ってICUの説明。
その後、DVDでICUの紹介映像を見ました。
そのうち、説明もロボットになりそうだな・・・。
10分くらいのDVDが終わったところで係りの人が、
「ICU見学できますけど、どうされますか?」って。
前に入っているので母も、弟も、私も、けっこうですと断った。
ちなみに、ICUの面会は一度につき10分以内。
通常は13:00-19:30だが、
手術当日だけは、何時でもいいと言われた。
14:00から、ナースステーションの奥の部屋で手術の説明。
常々診察してくださっている先生が説明してくれました。
この医師は、前回の手術の際も立ち会っていた人で、
週に一回、大館の市立病院に来ているので、
母のことをずっと見ていてくれている先生だ。
今回弘前の病院に入院してからの主治医は、
手術当日の執刀医でもある中国人の若い男の先生。
(この時は、まだお会いしていない)
8月は、学生が夏休み中なので、
以前のようにうじゃうじゃいた研修医は、ほとんど見かけず静かだ。
caverunaは、先生の腕の毛がもじゃもじゃで、
ずっともじゃもじゃを見ながら説明を聞いていました(笑)
だってすごいんだもん・・・
母は三年前に心臓の僧帽弁形成術という手術をしました。
前回の手術が失敗というわけではないのだが、
この手術をしたのに、弁の逆流が治らず、
人工弁に置き換える手術をすることになったのだ。
前回の形成術は、自分の弁はそのままだが、
縫ったり繋いだりして修復する手術。
今回は、人工の弁に置き換えるのだが、
人工弁には機械弁と生体弁があって、
どちらにするか患者側で選択できるのだ。
機械弁は、寿命も半永久的なんだけど、弁の周りに、
血液が凝固しやすいので、毎日ワーファリンなどの薬を
飲まなければなりません。
一方生体弁は、牛の心臓や豚の大動脈弁を加工したものなので、
血液が固まる心配もないが(術後3ケ月だけワーファリン服用)、
一般的に15年~20年の寿命と言われており、
寿命が来ると再手術しなければならない。
先生からは、80代になってからでは体力的にも手術は大変だから、
手術するなら今!と言われたわけです。
先生の丁寧な説明を聞き、
相談することもなく、三人同意見で「生体弁でお願いします」と返事をした。
手術はトータル7時間を予定。
まぁ手術そのものは2~3時間くらいなんじゃないかな?
術後の処置や、様子を見るのに時間を要するのだと思う。
この日は、これで終了。
説明を聞いてたら、「だんだん怖くなってきた・・・」と母。
だって、心臓一旦止めて手術するんだもんな・・・
たのむよ先生・・・
前回は家から救急車で運ばれる時点で、心不全をおこし、
大館の病院から救急車で弘前の病院へ。
救命救急センターのICUで数日しばらく様子を見てからの手術だったので、
倒れてから麻酔から覚めるまでまったく記憶が無い母。
「記憶が無い方がいいわぁ~」なんて言ってたけど、
その分、今回は術後は早く回復しそうだ。
この日、21日に抗癌剤投与の為入院していた父が、
午後に退院してきたので、急いで帰る。
青森県と秋田県の県境にある矢立峠は、いつも天気が変わる。
冬は吹雪になるし、積雪量がドカンと変わる。
冬じゃなくて、ほんとによかった。。。
家の車がマニュアルなので、
caverunaが運転したら生きた心地しないだろうな・・・って思った。
帰ったら、父が、もうグラスとお箸をテーブルにセッティング済だった(笑)。
抗癌剤投与後はいつも元気なのだ。
副作用が来るのが一週間後くらい。
弟が中華系が食べたいと言うので、スーパーで焼売を買ってきた。
あとは冷蔵庫にあった茄子とピーマンで、味噌炒め。
父は、気分が良かったのか私達につきあって、ワイン少しを飲んだ。
つづく